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21件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1989-11-10 第116回国会 衆議院 外務委員会 第2号

これは、中国側は最近戒厳令をやめて、そして実質的に廃止して、軍隊における北京制圧武装警官隊によるものに変えた。つまり、私どもの主張に似たやり方ではございますが、機動隊型の制圧というものに切りかえた。またポスターあるいはデモあるいは演説等について、集会ですね、許可制で認めるという形にすることによって憲法の規定を一部改正した。そこまでやってきた。

渡部一郎

1968-03-06 第58回国会 衆議院 運輸委員会 第4号

無理に無理を重ねているから、十月十日のくい打ちにしても、二千に近い武装警官隊前面に押し出さなければ三本のくいも打てないというような状態が一つ。そういうようなことを繰り返しているのです。いま現地に入っているのは私服警官ガードマンでしょう。あとはさっき言ったような詐術を弄している用地屋ですよ。まじめな者がだれが一人入っていますか。こんなことで何ができますか。

小川三男

1958-07-08 第29回国会 衆議院 内閣委員会 第6号

しかも広い国有地があって、中に私有地があった場合、国有土地はとってしまったのだから、私有地は少いから、これは武装警官隊を何十名入れようが、あるいは土方をたくさん入れて暴行させようが、二人や三人だったらやってしまえという考え方ならば、これはとんでもない迷惑です。こういう場合の個人の土地に対する権利は尊重するつもりですか。

淡谷悠藏

1956-10-16 第24回国会 衆議院 地方行政委員会 第62号

二十人の議員団に対して二千名の武装警官隊を向ける必要がどこにあったのです。一般組合員支援団体交通妨害をしておらぬでしょう。議員団がずっと前面に立っていて、もう少し話し合ったらいいじゃないか、あそこまでいくと激突するんだから、激突を避けるために、最後まで流血の惨事を起さないために話し合おうじゃないかと言ったのに、二千名の警官予備隊の動員が何の必要がありますか。

淡谷悠藏

1953-02-27 第15回国会 参議院 本会議 第28号

真に国民のための善政が行われる所には弾圧のための武装警官隊は要らないのであります。総理は、我が党の主張する警察制度の改正に賛成し、これを採用する勇気があるか。十万の軍隊と十万の武装警官に守られなくては、枕を高くして眠れず、お気の毒ながら所労所労を重ねることは、(拍手)吉田内閣の秕政ここに極まれりと言わざるを得ないのであります。これは国民大衆の声のみではない。

須藤五郎

1952-06-17 第13回国会 衆議院 懲罰委員会 第13号

馬場先門からデモ隊が進入するとき、両側に待機していた武装警官隊は阻止も警告もせず、黙つて入れた。先頭が進入したとき(午後二時三十分)警官隊指揮官は部下をかえりみて「ここはやりすごす。中へ入れてやつつける」と下知したのを傍にいた市民が聞いている。」こういうことが書いてある。これは非常にこれと符合している。

風早八十二

1952-06-17 第13回国会 衆議院 懲罰委員会 第13号

デモ行進は、先頭が二重橋前で武装警官隊の襲撃をうけているとき、後尾はまだ国会議事堂付近を歩いていた。その数は約十万。霞ケ関から日比谷公園を抜けて日比谷交叉点馬場先門と何も知らずに、前につづいて宮城前広場へ入つて来る。しかも、それは明治神宮外苑から五隊に分れて出発したうちの一隊の中部部隊だけで、そのような数にのぼつている。

風早八十二

1952-05-30 第13回国会 参議院 地方行政委員会 第42号

丸山公園でも実力で私服をやつつけ、応援に駆けつけた武装警官隊と対峙して戦つた。而もこれは組織されたものではなく革命的大衆の自然発生的な戦いであつた。このことは現在の情勢の厳しさと、金属労働者を中心とする全京都の労働者革命的高まりと成長の現われである。職制の脅迫と戦い、悪質分裂主義者をはね飛ばし、参加し、農民は封建的な縛りをふりほどき、学生朝鮮人は敵のおどかしを粉砕して参加した力である。

吉川末次郎

1952-05-08 第13回国会 衆議院 議院運営委員会 第44号

第二の点は、「宮城側にすでに待ち構えていた数千名の武装警官隊は、━━━━━━━━━━━━━━━━━、大衆が呼吸困難と苦痛を訴えるすきに乗じて━━━━━━━━━━━━━━━━━」と言つておる点であります。  次に第三としては、「国家警察隊は、警察予備隊と同様、今や完全に━━━━━━━━━━━━━━━━━」と言つておられるような点であります。  

岩本信行

1952-05-06 第13回国会 衆議院 本会議 第38号

しかるに、宮城側にすでに待ち構えていた数千名の武装警官隊は、——————————————————————大衆が呼吸困難と苦痛を訴えるすきに乗じて——————————————————こん棒を振りかざして、帽子一つかぶつておらない——————————————、婦人といわず、子供といわず、片つぱしから———————————————————ほしいままにしたのであります。

風早八十二

1951-10-18 第12回国会 衆議院 法務委員会 第4号

実は大学へ行つております私の長男が、たまたま数寄屋橋へ通りかかりましたところが、黒山の人だかりであつてちようど武装警官隊が三百名ばかり来て、これを取囲んだ。そうしてこん棒で頭をなぐつて顔から血を出しておる。そうして手足の不自由な人間を検束しておる。そこで民衆が非常に気の毒がつて、何ということをするのかというて、民衆が不穏の形勢を示したところが、MPがはせつけた。

猪俣浩三

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